しばらくお休みします

ここのところ、更新が滞りがちになっておりましたが、多忙と体調不良がシャレにならん状態になってきましたので、2週間ほどお休みします。

復活は9月10日前後の予定。
あまりに頭に来ることがあったら、更新するかもしれませんが。(笑)

毎日覗いてくださっている常連さま、季節の変わり目の折、ご自愛くださいませね♪

そして、泡瀬干潟と浅海の埋め立て中止を求める署名(←左カラム)、よろしくお願いします。m(_ _)m

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【edit】 [ 2008/08/28 13:26 ] おしらせ | TB(0) | CM(0)

偽装極まれり。

いつの間にか、オリンピックは終わっているようですね。

スポーツ関係はホントに疎いので、みんなご存じの話題かもしれんのですが、あまりに腹が立ったので、遅ればせながらアップ。

五輪開会式の「独唱少女」、声は別人
(TBS 8月13日16:36)

 オリンピックの開会式で愛らしい笑顔を振りまき、人気を集めた少女の歌声が、別人のモノであったことがわかりました。音楽総監督は、対外イメージ向上のため、「声が良い子」と「顔が良い子」を選んだと話しています。

 林妙可ちゃん(9)。「独唱」という触れ込みで開会式に出演しました。直後から「微笑み天使」と呼ばれ、一躍人気者に。地元のテレビで彼女の特集が組まれたほどです。

Q.ステージには満足?
 「満足してます」(林妙可ちゃん)
 「(娘は)舞台が大きいほど、うまくやるんです」(林妙可ちゃんの母親)
 「“自然体”よ」(林妙可ちゃん)

 ところが華僑向け通信社「中国新聞社」が12日、開会式の音楽総監督・陳其鋼氏の話として、実際に流れたのは林妙可ちゃんではなく、別の少女の声だったと伝えたのです。

 「本当に? 同じ子じゃなかったのか。気づかなかったな」
 「録音だとは思ったけど」(北京市民)

 声の主は北京大学付属小学校の1年生、楊沛宜ちゃん(7)でした。音楽監督は、出演者決定の経緯について「楊沛宜ちゃんは声が良かった。林妙可ちゃんは歌は良くはなかったが、可愛らしかった。対外イメージを考慮した」と語るとともに、最終決定は中国共産党の指導部が下したことを明らかにしました。

 「最も劇的な効果をあげるためです。間違ったことはしていないと思います。皆が合意した判断です」(北京オリンピック組織委員会、王偉副会長)

 「効果的にするためなら仕方ないんじゃない?」
 「そうよ。失敗したらどうするの」(北京市民)

 ところで、開会式に出演できなかった楊沛宜ちゃんですが、地元の記者に対し、「残念とは思ってない。自分の声が開会式で流れただけで満足です」と答えているということです。



うーむ。偽装オッケーなお国柄なのか?
なめぴょんさん、どうなんでしょう?
花火のCGとか、ゆうこりんのラジオとか、全世界に「偽装大国 中国」を発信するオリンピックになったみたいだけれど・・・。


「顔がよかった」林妙可ちゃん

ピクチャ 4

うむ、確かにかわいい。うちの娘にそっくりである。
しかし、「声がよかった」楊沛宜ちゃんだって、十分にかわいいのだ。

ピクチャ 2

うちの娘に口パクの独唱の話が来たら、私は絶対に断るなぁ。ていうか、怒ると思う。
「アテレコの音源だけお願いします」なんて言われても、ブチキレると思う。

「顔がいいから」「声がいいから」と言われても、それは「顔はいいけど、歌はダメ」「歌はいいけど、顔がダメ」と言われているのと同じだから。そんな傷を、こんな小さな少女に与えてはいけない。

2人によるコラボ、とは思いたくないのだが、独唱の音源で他にいいのが見つからなかった。



楊沛宜ちゃん本当に上手。「独唱」なのだから、あなたが出るべきだったと私は思うよ。
くやしかっただろうね。そして「独唱」の舞台だったから、口パクのお人形にされた林妙可ちゃんの傷もきっと大きいと思う。

大人の思惑など踏み台にして、まっすぐに育ってください。ふたりとも。
【edit】 [ 2008/08/27 15:13 ] ニュース | TB(0) | CM(4)

谷、涙の現役続行宣言

谷、涙の現役続行宣言…ロンドン目指す
8月25日9時40分配信 デイリースポーツ

 北京五輪柔道女子48キロ級で3連覇を逃し、銅メダルに終わった谷亮子(32)=トヨタ自動車=が24日、日テレ・読売系の五輪特別番組に生出演。自らの去就について、12年ロンドン五輪を目指して現役を続行する意思を明らかにした。

 涙のロンドン宣言だった。視聴者から寄せられた温かい励ましのメッセージの数々に、YAWARAちゃんが大粒の涙を流しながら固い決意を表明した。

 「可能性のある限りは、チャレンジしていきたい。ロンドンに行きたいと思う。記録だけが目標じゃない。応援して下さるのは幸せなこと。やっぱり、やり続けていきたい。もっと大変になってくるとは思うが、カムバックします!!」

 谷は9日の試合後、今後については「まず主婦をしたい。自分一人では決められないことなので、周りと相談して決めたい」と明言を避けていた。北京に同行した長男・佳亮ちゃん(2つ)にも銅メダルを見せたといい、「ママでも金」への思いを強くしたようだ。

 谷はメダルを収納するためのボックスを持ち合わせているが、あと2〜3個入るスペースがあるという。ロンドン五輪はもちろん、来年のオランダ・ロッテルダム世界選手権の金メダルでスペースを埋め尽くす腹積もりだ。

 途中で司会の明石家さんまから「おばあちゃんでも金を」と振られ、思わず苦笑い。ロンドンでのリベンジヘ、YAWARAちゃんが再び青畳に上がる。




ふ ざ け ん な ちゅうねん。ほんなら「主婦したい」なんか言うな。

今回の復帰宣言でいちばん喜んだのはトヨタで、いちばんがっかりしたのは、選考会で勝っていたにも関わらず出場でけへんかった人やろな。4年後もまだおるんかい!って。

選手生命は短いのに。


【edit】 [ 2008/08/26 04:17 ] ニュース | TB(1) | CM(2)

女性器の名称

私は娘に女性器のことを「まんまん」と教えている。
九州では女性器のことも「おちんちん」というのだけれども。

私が子どもの頃、親たちから教わった女性器の呼び名は違うものだったけれど、それをことばにするときの「いやらしいもの」「恥ずかしいもの」「汚いもの」という彼らの貧困な性意識を彷彿とさせるものがあるので、それは絶対に使いたくなかった。

女性器には「おちんちん」のような、一般的な呼び方がない。
地方によって異なる「隠語」として扱われ、女性器の名称はセックスの意味でも使われる。「おまんこ野郎」は相手を侮辱することばだけれども。>FM Tokyo

だから、そうした意味づけの行われていないことばを使いたかった。で、検討した結果、「まんまん」は「ちんちん」の対照としてもよかろう、と採用した。語感もかわいいし。

男女の区別がつくようになるのは、2〜3歳の頃だが、私たちの多くは「ちんちんがあるのが男」「ちんちんがないのが女」というふうに教わったと思う。

私はそれがとてもイヤだったのだ。

だって、それは男性が標準で、それに欠ける者が女性、というふうに取れるから。

そうではなく、男女を、単なる「違い」として教えたかった。

なので娘は「ちんちんはない。でも、まんまんはある」というふうに認識している。
それが私にはとてもうれしい。

「ちんちんがあるのが男」「まんまんがあるのが女」

些細なことかもしれないが、こういうことの積み重ねが、大事だと思っている。

【edit】 [ 2008/08/20 12:15 ]  ┣ 性教育 | TB(0) | CM(5)

水葉の誤算

ことばの上っ面に いちゃもんつけてくる奴ら

・・・で始まる、タイマーズの「国名改正論(「逃げ腰」という国の国民)」が頭の中をリフレインしている。
おそらく、帰省して久しぶりに母と接したからだろう。

なんちゅうか、うちの実家は、両親も弟も、えらく「まっとう」なのである。

まっとう ―たう 【真っ当】

(形動)[文]ナリ

〔「まったく(全)」の転。「真当」は当て字〕まともなさま。まじめ。
「言うことは―だ」「―な生活」「―な人間のすることではない」



とても日本人らしいと思うのだけれど、ことばの裏を必要以上に読もうとする。
「言った言わない」に固執する一方で、「察する」ことを過剰に要求する。

それが私と、母のお気に入りである弟に対して全く違う次元で行われ、またそれが無自覚だということがわかるから、ほとほと疲れ果ててしまった。私は既に「家の人間ではない」と認識されているので、単なる「身内びいき」なのだと割り切る努力はしたのだけれども、私は実家で何十年もスケープゴートにされてきた過去があるので、ついつい身構えてしまう。

彼らの「まっとうさ」に真綿で首を絞められる感覚は、どれだけことばを尽くしても伝わらないのだろうなと思いつつ、ぐるぐる考えていて、ひとつ思いついた。

ま っとうな
わ たしが
た だしい



こういう感じに、私はものすごいアレルギーがあるんだな。

彼らの基準では、私は「まっとう」ではないのである。
まぁ、それも私は自覚しているし、彼らどころか、おそらく世間一般から見ても「まっとう」じゃないかもしれないと思っている。

だって、ロッカーだから。笑

今はパッと見「カタギ」に見えるらしいが、多感な思春期から延々十数年もロックを歌ってきて、ロックな人間関係の中でいたのだ。経歴もマトモではないし、今も反体制のフェミニズム業界で、胡散臭い仕事をしているしね。

だから誤解していたんだと思う。リベラルという世界を。ブログという世界を。

私がネットで文章を書き始めて、かれこれ10年以上になる。
当時自分のHPを持ったり(htmlを手打ちしてたもんなぁ)メルマガを発行したりという人間はまだ稀だったけれど、ブロードバンドとブログの普及に伴って、ネットの敷居は格段に下がった。

自分の思いを表現することが容易になったのはいいことだと思っている。
でも、敷居が下がった分、ネットでのマイノリティの比率は確実に減っているんだよね。リアルに近づいているというか。

ネットが普及し始めた頃、多かったのはマイノリティのHPだ。リアルで迫害されてきた人たちが、ネットという匿名の世界で繋がり始めた。当時目に付いていたのは、同性愛者などのセクシュアルマイノリティ、あるいは障害や難病を持った人たちのHPで、そこにはリアルと密接に繋がった「切実」な思いがあった。

それから10数年。ここ数年、リベラルな印象を受ける人たちをずいぶん多く見かけるようになった気がして無邪気に喜んでいたんだけど、おそらくは、そこが私の誤算。実際にリアルの生活の中でリベラルな活動に携わっている人って、そんなに増えてはいないんだよね。

ネットの情報を引っ張ってきて、評論することは、簡単。
でも、リアルと連動していないから、上滑りしたことばも多い。
そこの見極めができていなかったことが、私が疲れた理由だろう。

もっと言えば、私は「リベラル」=「反体制」=「ロック」という安直な希望的認識をしてきたように思う。
でも、リベラルな人のほとんどは「まっとう」な人たちなんだよね。

私の中の「リベラル」は、こういうもん↓なんだけど、それがそもそも共有されないのかもね。



そもそも私は、「まっとう」な人たちが眉をひそめるタイプの人間なんだろうな。リベラル如何を問わず。

でも、それでいいや、と思う。

ネットの情報を引っ張ってきて、評論することは、簡単。
だから私は、ことばから「私」が抜け落ちていない人、バーチャルな場での言論だけではなく実際に「からだを動かして」社会と格闘している人と、ゆったりと繋がっていこうと思う。

【edit】 [ 2008/08/20 10:15 ] 雑感 | TB(5) | CM(5)
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